2018年01月19日
横山・天白神社を訪ねる①―ふるさとものがたり天竜「天白神社の由来」
はるか七百年近くも昔のことである。
日本の国の南北朝と言われて、中央の勢力が二つに分裂し、激しい戦いが続いていた。
やがて中央で活躍していた貴族たちの中にも、地方の実力者を頼ったり、武士の生活を投げ捨てたりして、都から離れ住む者も現れるようになった。
横山村のある高台へ、内山姓を名乗る人物が、何人かの供と一緒に住みついたのも、ちょうどそのころのことである。
内山姓は、なれぬ手に鎌や鍬を持ち、荒地を開拓して、農業に励んだ。
そして山の上に“伊邪那岐、伊邪那美”の二つの神さまを迎えて社をつくり、この村の守り神とした。
その社は『天白神社』と呼ばれ、内山氏の家は、代々天白家と言われるようになっていった。
村人は今もこの高台を“テンパク”と呼び、由緒ある歴史をほこる天白神社を、しっかりとおまつりしているということである。(「ふるさとものがたり天竜・第5章竜川地区」より)
◆ ◆ ◆ ◆
天白信仰は、天竜川流域や伊勢地方に多く分布しています。
実は、自宅のある磐田市堀之内地区の氏神様も天白神社。皆さんのお近くに、天白神社はありませんか?
日本の国の南北朝と言われて、中央の勢力が二つに分裂し、激しい戦いが続いていた。
やがて中央で活躍していた貴族たちの中にも、地方の実力者を頼ったり、武士の生活を投げ捨てたりして、都から離れ住む者も現れるようになった。
横山村のある高台へ、内山姓を名乗る人物が、何人かの供と一緒に住みついたのも、ちょうどそのころのことである。
内山姓は、なれぬ手に鎌や鍬を持ち、荒地を開拓して、農業に励んだ。
そして山の上に“伊邪那岐、伊邪那美”の二つの神さまを迎えて社をつくり、この村の守り神とした。
その社は『天白神社』と呼ばれ、内山氏の家は、代々天白家と言われるようになっていった。
村人は今もこの高台を“テンパク”と呼び、由緒ある歴史をほこる天白神社を、しっかりとおまつりしているということである。(「ふるさとものがたり天竜・第5章竜川地区」より)
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天白信仰は、天竜川流域や伊勢地方に多く分布しています。
実は、自宅のある磐田市堀之内地区の氏神様も天白神社。皆さんのお近くに、天白神社はありませんか?