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2017年11月21日

二俣城で学ぶお城用語―STEP3「井戸曲輪」

井戸曲輪の跡 二俣城を語る時に忘れてはならないキーワードに、「井戸櫓(いどやぐら)」があります。

 三方を大きく蛇行する天竜川と二俣川とで囲まれた要害の地に立つ二俣城を攻めるには、北側からの進路しかありません。天正元年(1573)、武田軍の攻撃を受けながらも2ヵ月もの間、篭城し抗戦し続けた徳川軍を敗戦に追い込んだのが「井戸櫓」でした。

 武田軍は、二俣城の兵が崖から滑車で水を汲んでいるのを発見しました。城兵の「水の手」を絶つため、上流から筏を流し、井戸櫓にある滑車の縄にぶつけさせて切断するという作戦に出たのです。この作戦が功を奏し、二俣城は落城。

清瀧寺に再現されている井戸櫓 現在、清瀧寺に再現されてる「井戸櫓」があったのが「井戸曲輪(いどぐるわ)」でした。

 よく聞く「曲輪(くるわ)」とは、本曲輪、腰曲輪のように使われ、城の内部の区切られた区域を指す言葉。「郭」「廓」とも書き、本丸、二の丸のように「丸」と呼ばれることもあります。

 「井戸曲輪」と呼ばれているのは、「天守台」の西側の一段低い場所。ここからは、天竜川が真下に見下ろせます。因縁の「井戸櫓」が、ここに立っていたのでしょう。


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