2017年08月29日
乳岩・乳岩峡を訪ねる⑪―目薬岩洞窟
通天門を抜けると左手の巨岩に開いた窪みに、数体の石仏がありました。一体、誰がどうやってあそこまで石仏を運んだのでしょう?通天門を造ったのは人知の及ばない大自然の力によるものですが、石仏を並べたのは人間に違いありません。
岩に片手を添えながら細い道を少し下ると、上方が大きく前にせせり出し、下方が洞窟のように窪んだ岩が現れました。岩の上からキラキラと光る雫が落ちて来ます。
この洞窟は「目薬岩洞窟」と呼ばれ、洞内の石仏に向かって手を合わせると、目の病が癒えるとのこと。どうやら、落ちて来る雫を目薬に例えたようです。
・・・であるとすれば、日本で点眼薬「精奇水」が使われ始めたのは江戸時代のこと。「目薬岩洞窟」の名が付けられたのも、やはり江戸時代と考えて良いと思います。
岩に片手を添えながら細い道を少し下ると、上方が大きく前にせせり出し、下方が洞窟のように窪んだ岩が現れました。岩の上からキラキラと光る雫が落ちて来ます。
この洞窟は「目薬岩洞窟」と呼ばれ、洞内の石仏に向かって手を合わせると、目の病が癒えるとのこと。どうやら、落ちて来る雫を目薬に例えたようです。
・・・であるとすれば、日本で点眼薬「精奇水」が使われ始めたのは江戸時代のこと。「目薬岩洞窟」の名が付けられたのも、やはり江戸時代と考えて良いと思います。
Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 05:03│Comments(0)
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