2017年03月08日
渡ヶ島諏訪神社を訪ねて②―郷社
「郷社(ごうしゃ)」とは、明治時代に定められた近代社格制度(きんだいしゃかくせいど)として神社を等級化した社格名。官社の下に位置付けられた諸社(民社)に含まれ、府県社・郷社・村社に分けられました。
戦後、社格制度は廃止され社号標の「村社」などの文字はセメントなどで埋められているものを見かけることも多いのですが、渡ヶ島諏訪神社でははっきりと「郷社」の文字が読み取れます。
天竜川右岸のこの決して大きいとは言えない集落の神社が郷社に列せられたのは不思議な感じもしますが、江戸時代には朱符高拾五石だったと言いますから、郷社の社格もうなずけます。
渡ヶ島は天竜川に面した集落であり、船明(ふなぎら)までバラで流されて来た丸太は、綱場で一旦水揚げされ筏に組まれ、諏訪神社のすぐ前を下って行ったはず。この先、鹿島から河口の掛塚へと下る運材の道の要所であった渡ヶ島は、江戸幕府の直轄領、幕府領として統治された時代が長かったことも、渡ヶ島の諏訪神社が郷社とされた背景にあったのかも知れません。
Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 05:31│Comments(0)
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