中山道・木曽福島宿を歩く㉕―井戸と「木曽福島町」の消火栓
「鍵の手」にあったつるべ井戸には、次のような解説が掲げられていました。
この井戸は、江戸時代中ごろに造られたもので、深さ二十一尺(六・五メートル)あり、その工法は大変珍しく、過去数度の地震にも少しもこわれることなく、昭和の中ごろまで町民の飲料水として用いたものです。
この水は、清く、冷たく、中山道を往来する旅人ののどをうるおし、また、毎年七月二十二日、二十三日の水無神社の祭礼には、この水で砂糖水を作って枠持衆(御輿をかつぐ人)に供していたものです。
・・・とあります。
そして、すぐ近くにあった消火栓には「木曽福島町」も文字が。そもそも「木曽福島町(まち)」が誕生したのは、木曽郡福島町と新開村が合併した昭和42年(1967)。その後、平成17年(2005)に日義村・開田村・三岳村と合併して木曽町となりましたので、正しくは「長野県木曽郡木曽町福島」。
このマンホールの蓋も「KISOFUKUSHIMAMACHI」とされていましたので、昭和42年から平成17年までの間に造られたものです。
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