冬の八丁坂を登る⑦―山姥神社
車道が大きくカーブする辺りで車道から離れて少し下に降りると、山姥神社があります。
私は、山香などの一帯に山姥(やまんば)伝説が語り伝えられているのには、林業や鉱山との関係が深いと考えています。つまり、危険が伴う山に女性を近づけないため、山の神をあえて女神としたのだと。そして、その女神が若い娘ではなく老女だとしたところにも、男たちの気遣いを感じます。
当然ですが、山は子供たちにとっても危険な場所。山には山姥が住んでいると知れば、子供たちも山姥を怖れ、事故を防ぐことにもつながります。
社脇にある「山姥神社」の石碑は「大正九年二月拾六日」(1920)の建立。これも憶測ですが、山香区の浅間山(せんげんさん)山頂にあった山姥神社を、鉱山で栄え人口が増えた101年前にここへ下ろしたのではないでしょうか?
摂社として秋葉神社が祀られるようになったのは、いつ頃からでしょう?明光寺峠の西には愛宕山があり、こちらも火伏の愛宕信仰に基づく山名。焼き畑農業が盛んだった頃には、火災は付き物。また、久根鉱山の繁栄により家が密集した舟戸地区ではたびたび大火が発生したようですので、秋葉神社の勧進はその頃だったのかも知れません。
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