2021年01月11日
菊川市加茂の大頭龍神社①―大鳥居に刻まれていた「掛塚」
菊川市加茂にある大頭龍神社の公式HPで、次のような記述を見つけました。
青銅造りの鳥居で、江戸時代中期の文政7年(1824年)に3年半をかけて造立されました。棟梁となったのは遠州森町の山田七郎左衛門(駿遠両国鋳物師惣大工職)と三河国宝飯郡北金屋居住(豊川市北金屋)の中尾重右衛門藤原道寛(勅許御鋳物師大工職)で、当時の最高の職人に依頼をして造られたものです。
あの大鳥居の鋳造に森町の山田七郎左衛門が関わっていたと知り、大頭龍神社を再訪。鳥居の柱にびっしりと刻まれていた願主や世話人、寄進者の名前を指でなどるようにして読んでみました。
社務所で聞いたところによれば、「遠州森町の山田七郎左衛門と三河国宝飯郡北金屋居住の中尾重右衛門藤原道寛であることは間違いない」との話でしたが、残念ながら私の視線の届く範囲に、それらしい名前はなし。
その代わりと言ったらおかしいかも知れませんが、掛塚に住む人たちの名前がたくさん見られましたので、拾い出して紹介させていただきます。
世話人としては・・・
豊田郡掛塚 川口屋佐右衛門
同所 吉田屋長兵衛
寄付者としては・・・
掛塚砂町 金二両
山内市衛門 金一分
大手長藏 金二分
原丈左衛門 金三分
大手長三郎 金一分
鈴木三郎右衛門 同
林文吉 同
林三治郎 金二分三朱
山下八右衛門 金一分
長谷川彦兵衛 同
長谷川伊左エ門 同
鈴木小平治 同
増布川善五郎 同
川口屋弥助 同
吉田屋長兵衛 同
川口屋佐右衛門 同
旧竜洋町の村名としては、他に・・・
駒場村 金一分
泉屋喜右衛門 同
喜多野武兵衛 同
大白羽村 金二分
堀之内村 金一両一分
鈴木半藏 金二分
高木村 金一両一分
平間村 金一分
草崎村 同
・・・などが見られます。本社の御祭神は疫病鎮護・水難除けの大物主大神。大頭龍神社は、かなり広い地域の住民から信仰を集めていたことがわかります。
青銅造りの鳥居で、江戸時代中期の文政7年(1824年)に3年半をかけて造立されました。棟梁となったのは遠州森町の山田七郎左衛門(駿遠両国鋳物師惣大工職)と三河国宝飯郡北金屋居住(豊川市北金屋)の中尾重右衛門藤原道寛(勅許御鋳物師大工職)で、当時の最高の職人に依頼をして造られたものです。
あの大鳥居の鋳造に森町の山田七郎左衛門が関わっていたと知り、大頭龍神社を再訪。鳥居の柱にびっしりと刻まれていた願主や世話人、寄進者の名前を指でなどるようにして読んでみました。
社務所で聞いたところによれば、「遠州森町の山田七郎左衛門と三河国宝飯郡北金屋居住の中尾重右衛門藤原道寛であることは間違いない」との話でしたが、残念ながら私の視線の届く範囲に、それらしい名前はなし。
その代わりと言ったらおかしいかも知れませんが、掛塚に住む人たちの名前がたくさん見られましたので、拾い出して紹介させていただきます。
世話人としては・・・
豊田郡掛塚 川口屋佐右衛門
同所 吉田屋長兵衛
寄付者としては・・・
掛塚砂町 金二両
山内市衛門 金一分
大手長藏 金二分
原丈左衛門 金三分
大手長三郎 金一分
鈴木三郎右衛門 同
林文吉 同
林三治郎 金二分三朱
山下八右衛門 金一分
長谷川彦兵衛 同
長谷川伊左エ門 同
鈴木小平治 同
増布川善五郎 同
川口屋弥助 同
吉田屋長兵衛 同
川口屋佐右衛門 同
旧竜洋町の村名としては、他に・・・
駒場村 金一分
泉屋喜右衛門 同
喜多野武兵衛 同
大白羽村 金二分
堀之内村 金一両一分
鈴木半藏 金二分
高木村 金一両一分
平間村 金一分
草崎村 同
・・・などが見られます。本社の御祭神は疫病鎮護・水難除けの大物主大神。大頭龍神社は、かなり広い地域の住民から信仰を集めていたことがわかります。