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2019年04月02日

「戸口橋」の歴史を辿る③―「戸口橋崩壊 孤立状態の部落民」

「戸口橋崩壊 孤立状態の部落民」の写真 戸口部落唯一の出入口、戸口橋は、本年竣工したばかりであるが、28日夕刻橋台の崩壊により、無残にも哀れな姿と化し、交通不能となり部落民は孤立状態となった。

 この為迂回道路により山を越え、谷を越えて大輪に出又山越えして西渡に出ると云う悪路で、片道2時間以上は要するので、食糧の補給並に生徒、児童の通学は麻痺状態であった。

 この対策として、関係者協議の結果山香中学校生徒は、学校の授業日程を変更して通学させ、山香小学校の児童は、体力及び保全を考へ戸口の青年会館で分散授業を行うことになつた。

 尚物資は簡易索道により、対岸の西渡部落から運搬している。

 1日も早く交通のでき得るよう7月15日開通を目標に応急仮設工事を施行中です。


戸口橋 昭和36年(1961)7月18日発行の『広報 佐久間』の記事と写真です。同36年6月27~28日の集中豪雨が、佐久間にももたらした甚大な被害を伝える「猛威をふるった水魔 梅雨前線豪雨」と題した「特集号」。

 記事中、気になることがありました。それは、「戸口橋は、本年竣工したばかり」の言葉。だとすれば、大正14年(1925)に竣工した旧「戸口橋」と昭和45年(1970)竣工の「戸口橋」との間に、もう一つの「戸口橋」が存在したことになります。

 現在の赤いトラス橋と一緒に写っていた写真の吊り橋は、昭和36年(1961)に竣工したことになります。



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