2018年03月06日
春の野道を歩く⑦―フラサバソウ
掛塚の旧廻船問屋津倉家住宅の庭で見つけたのはオオバコ科のフラサバソウ。
同じオオバコ科、ヨーロッパ原産のオオイヌノフグリが渡来したのは、明治初年とのこと。日本が西洋に対する鎖国を終り、開国した時期と考えられ、最初に見つけられたのは東京だったそうです。
同じ頃にフラサバソウが見つかったのは長崎。フランスの植物学者フランシェ氏とサバチェ氏が見つけたことから、両氏の名前の頭「フラ+サバ」を採って「フラサバソウ」と名付けられました。
そう考えてみると、東京から入ったオオイヌノフグリよりも、長崎から入ったフラサバソウの方が、渡来は早かったのかも知れません。しかし、その割にはオオイヌノフグリを見かける機会の方がはるかに多く、フラサバソウの分布拡大はゆっくりと進行しているようです。
それにしても、外来種の侵入や拡大のスピードは、以前と比べると格段にアップしているようです。経済活動の国際化などにより、人間や物資の移動が活発化したのが原因。防ぎようがないのかも知れませんが、気にはなりますね。
同じオオバコ科、ヨーロッパ原産のオオイヌノフグリが渡来したのは、明治初年とのこと。日本が西洋に対する鎖国を終り、開国した時期と考えられ、最初に見つけられたのは東京だったそうです。
同じ頃にフラサバソウが見つかったのは長崎。フランスの植物学者フランシェ氏とサバチェ氏が見つけたことから、両氏の名前の頭「フラ+サバ」を採って「フラサバソウ」と名付けられました。
そう考えてみると、東京から入ったオオイヌノフグリよりも、長崎から入ったフラサバソウの方が、渡来は早かったのかも知れません。しかし、その割にはオオイヌノフグリを見かける機会の方がはるかに多く、フラサバソウの分布拡大はゆっくりと進行しているようです。
それにしても、外来種の侵入や拡大のスピードは、以前と比べると格段にアップしているようです。経済活動の国際化などにより、人間や物資の移動が活発化したのが原因。防ぎようがないのかも知れませんが、気にはなりますね。