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2017年12月05日

遠州の山に植林をした粟野林太夫①―「天竜川流域の暮らしと文化」

「天竜川流域の暮らしと文化」(上巻) 遠州の山に植林した人物と言えば、真っ先に出てくる名前は金原明善。しかし、金原明善以前にも、大規模な植林をした人物はいたのです。それが、粟野林太夫(あわのりんだゆう)。粟野林太夫について調べてみました。

 「磐田市史編さん委員会」が編纂発行した「天竜川流域の暮らしと文化」(上巻)には、粟野林太夫こそが「土地開発と植林の隠れた功労者」として紹介されています。

 大久保村(磐田市大久保)の林太夫は、一時遠州を離れ、信州の粟野郷に住んだことがあり、徳川家康が江戸に幕府を開いて間もない慶長13年(1608)に故郷に戻り住居を構えた時に、先住の地の名をもって姓とし、以後、粟野林太夫を名乗ったとのこと。

 当時、林相の破壊が進み不毛の「いばら地」であった磐田原の開拓を開始するに当たり、猪・鹿の害を防ぐ「土居」を築くことから手掛けました。元和初年(1610年代)、許可を願い出て開拓の移住者を募り、原野を焼いて畑地としました。次に、自己所有の林と共有の「御林仕立」(現在の国有林)とに分け、松・杉・ヒノキの植林事業を始めました。



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Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 05:32│Comments(0)歴史・産業遺産・寺社・文化財
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