2023年06月11日
6月の御前崎を歩く④―遷㚑塚(せんれいづか)
白い御前崎灯台の近く、遠州灘を見下ろす場所に石塔が建てられ、石塔には「遷㚑塚(せんれいづか)」の文字が刻まれていました。「遷㚑塚」とは一体、何でしょう?「遷㚑塚」とは、明治初年、灯台建設に功労あった役人を顕彰する碑とのこと。解説に書かれていたのは・・・
この碑は、御前崎灯台の建設に功労のあった灯台役人・朝臣今武源高光と公儀お棟領・村山源清弘をまつったもので、正面に「遷㚑塚」と太く記され、右面に「朝臣今武源高光 村山源清弘」、左面に「維時明治六年壬申六月」、基石正面には御前崎松林久左ヱ門、相良増田銀蔵、上御崎山﨑円七、下御崎下村粂右ェ門、二ツ家沢入惣三郎、沢入専三郎、大沢八六、女岩川口半次郎、広沢横山粂右ェ門の名が刻んであります。
・・・とのこと。東海道線が開通するまでの間、物流の中心を担っていたのは船舶交通でしたので、灯台は安全を支える重要なインフラ施設だったのです。
この碑は、御前崎灯台の建設に功労のあった灯台役人・朝臣今武源高光と公儀お棟領・村山源清弘をまつったもので、正面に「遷㚑塚」と太く記され、右面に「朝臣今武源高光 村山源清弘」、左面に「維時明治六年壬申六月」、基石正面には御前崎松林久左ヱ門、相良増田銀蔵、上御崎山﨑円七、下御崎下村粂右ェ門、二ツ家沢入惣三郎、沢入専三郎、大沢八六、女岩川口半次郎、広沢横山粂右ェ門の名が刻んであります。
・・・とのこと。東海道線が開通するまでの間、物流の中心を担っていたのは船舶交通でしたので、灯台は安全を支える重要なインフラ施設だったのです。