2020年11月19日

森町・大日山金剛院を訪ねる⑨―山門

分岐の表示看板 さて、お待たせしました。ようやく、大日山金剛院に到着です。カーナビに頼って行きましたので、どこをどう走ったのかは、帰宅後に地図を見てもよく分かりません。

金剛院山門 道の分岐に「1.5㎞大日山⇒」の表示が出ていましたので、指示の通りに右折し、その先に見えて来たのが、大日山金剛院の山門です。

 解説看板によれば・・・

解説看板 明治45年(1912年)の火災を免れた山門は、天保8年(1837年)、菅山村の御免大工黒川喜平が製造したと伝えられています。
 この山門を造った大工はたいそう腕のあった男らしく、天井を張らず小屋組みの美しさを見せたり、軒先の勾配にも妙手が施されるなど、幾つかの個所に技巧が凝らされています。


庚申仏と山門 菅山村はかつての相良町で現在は牧之原市。「御免大工」とは何か?については、調べてみても答えは出ませんでしたが、宮大工の中でも特権を与えられた匠(たくみ)の意味でしょうか?山門の手前にある石像は庚申仏の青面金剛童子。

 そして、この看板に、問い合わせ先として「島田市役所観光課」と「森町役場産業課」の電話番号が書かれていたのは、金剛院が島田市と森町との境界線の上にあることを示しているようです。



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