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2020年02月29日

春野に残された戦争の記憶④―「閑静の賦」歓送迎台

「閑静の賦」歓送迎台 美しい山ふところに抱かれて生まれ育った熊切の若人達は、祖国存亡の危機が迫るや憂国の情に燃え、敢然として戦場に向いたり。吾が故郷の安寧と、愛する家族の幸せを念じ、老いたる父や母を残し、孝子と涙の別れを告げて戦場に向った若き出征兵士の胸中は如何ばかりか、察するに余りあり。

 生きて再び故郷の土を踏むこと叶わぬを秘かに決意し、緑なす美しき故郷の峰々を見俯して清らかなる熊切川のせせらぎを聴きつ此の壇上に立ちて出陣の決意を述べたる若人を思うとき、万感胸に迫りて声もなし。

 昭和13年、日中戦争の最中、若き青年達の奉仕と石工、志津重郎氏の手により、熊切村の支援を得て此の壇は造立されたり。

 君死に給うこと勿れ、生きて再び故郷に還り給への願いを込めて此の壇は歓送迎台と名付けられたり。

 悲しいかな、故郷の想いを抱きつつ異国の地に散華した熊切の若き出征兵士の数は203名にも及ぶ。痛恨の極みなり。

 現代の繁栄と平和の礎は国を愛し、故郷を愛し、そして、こよなく家族を愛して戦場に散った若人の尊い命に依るものなり。

 時は流れ、熊切の村が春野の町となり、浜松市となる。今は朽ちて崩れし歓送迎台なれど、故郷を愛し戦場に赴いた出征兵士達の足跡の残る尊い壇であることを終戦60年の節目に当たりここに賦す。

 閑かにして静かなる故郷の平和が永遠に続きますように、祈りを込めて此の碑を建つ。

             平成17年8月15日  終戦記念日


 春野町熊切の集落に近づいた辺りの山際に、この「歓送迎台」は残され、「閑静の賦」の碑が建っています。

 北遠を訪ね、北遠を歩く時、「田舎は良いよね」「昔は良かった」などと、軽々しいノスタルジーだけで山里の風景を眺めていてはいませんか?

 「閑静の賦」の碑文を読み返してみてください。先の大戦が、どれほど悲惨で許し難い苦痛を人々の心の傷として残したかについて、私たちが語らなくて一体誰が語るのですか!



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