2018年06月14日
北遠にあった発電所①―「遠州周智郡奥山村發電所」
磐田市見付の佐口行正さんからお借りした「池田屋發行」の古い絵葉書の中に、「遠州周智郡奥山村發電所」の写真がありました。
以前、同じ北遠の阿多古川にあった天龍電力川瀬発電所を紹介したことがありましたが、「遠州周智郡奥山村發電所」があったのは水窪です。
写真真ん中、やや左上に見える屋根の形、窓の位置、石垣の上に建つ小屋。山の斜面には、発電用の水車を回したと思われる圧力鉄管が写っています。
「水窪町沿革誌」によれば・・・
明治40年(1907)の戸数1,061・人口6,264.同42年(1909)水窪に湯浅製糸所設立。大正7年(1918)奥山電灯株式会社が水窪近辺に送電を開始。同年の重要物産の生産額は、生糸26万4,840円・繭16万3,048円・木材19万1,400円・椎茸3万3,000円。
水窪に電力会社が創立されたのは、大正7年(1918)のこと。この「奥山電灯」は、その後の変遷を経て中部電力に移管され、昭和27年(1952)に廃止されています。
以前、同じ北遠の阿多古川にあった天龍電力川瀬発電所を紹介したことがありましたが、「遠州周智郡奥山村發電所」があったのは水窪です。
写真真ん中、やや左上に見える屋根の形、窓の位置、石垣の上に建つ小屋。山の斜面には、発電用の水車を回したと思われる圧力鉄管が写っています。
「水窪町沿革誌」によれば・・・
明治40年(1907)の戸数1,061・人口6,264.同42年(1909)水窪に湯浅製糸所設立。大正7年(1918)奥山電灯株式会社が水窪近辺に送電を開始。同年の重要物産の生産額は、生糸26万4,840円・繭16万3,048円・木材19万1,400円・椎茸3万3,000円。
水窪に電力会社が創立されたのは、大正7年(1918)のこと。この「奥山電灯」は、その後の変遷を経て中部電力に移管され、昭和27年(1952)に廃止されています。
もちろん、このほかにも、組合や個人での発電は行われていたようですが、資料で見る限り、水窪の産業用の電気供給に「奥山電灯」が果たした役割は大きかったようです。