2017年11月09日
阿多古川・瀬戸渕の風景⑭―中泉発電所跡
先日のブログ記事「阿多古川・瀬戸渕の風景⑦」の中で、「天龍電力會社南營業所 新築落成紀念」の古い絵葉書を紹介しましたが、やはり佐口行正さん提供の「大日本帝国陸地測量部」発行の「明治二十三年測圖大正六年修正測圖昭和五年鐵道補入」の古い地図の中に、中泉発電所跡が書き込まれているのを見つけました。
一部を拡大した地図のほぼ真ん中にあるのがかつての国鉄中泉駅(現在のJR磐田駅)で、その上に書かれた「しんなかいづみ」の文字が、光明電気鉄道の始発駅である新中泉駅。駅の南の「御殿」の文字の右側に見える発電所記号の位置が「天龍電力會社南營業所」の中泉発電所があった場所です。
そして、そこを訪ねてみると、何とありました。「平成三年 中泉公民館振興会」が建てた「中泉発電所跡」の石碑です。
この地に出力110キロワットの火力発電所が建てられたのは、大正7年(1918)11月。その後、同11年(1922)3月には早川電力に、さらに同14年(1925)には東京電燈に吸収合併されましたので、正確に言えば光明電鉄に電力を供給したのは「天龍電力會社南營業所」中泉発電所ではなくて、東京電燈中泉発電所だったことになります。
一部を拡大した地図のほぼ真ん中にあるのがかつての国鉄中泉駅(現在のJR磐田駅)で、その上に書かれた「しんなかいづみ」の文字が、光明電気鉄道の始発駅である新中泉駅。駅の南の「御殿」の文字の右側に見える発電所記号の位置が「天龍電力會社南營業所」の中泉発電所があった場所です。
そして、そこを訪ねてみると、何とありました。「平成三年 中泉公民館振興会」が建てた「中泉発電所跡」の石碑です。
この地に出力110キロワットの火力発電所が建てられたのは、大正7年(1918)11月。その後、同11年(1922)3月には早川電力に、さらに同14年(1925)には東京電燈に吸収合併されましたので、正確に言えば光明電鉄に電力を供給したのは「天龍電力會社南營業所」中泉発電所ではなくて、東京電燈中泉発電所だったことになります。