2019年07月13日
かつての山里の暮らしを聞く①―提灯で足元を照らす

熊谷さんが通った「水窪小学校門谷分校」は、明治12年(1907)開校し、昭和44年(1969)から休校(実質は閉校)となっています。熊谷さんが通っていたのは、今から80年程前のこと。登校には、朝5時に家を出たのだそうです。
「朝の5時?夏の間は良いでしょうけど、ほかの季節はまだ暗いでしょう?」「そう。おまけに山道だから・・・。懐中電灯があるにはあったけど、当時の電池は寿命が短くて役立たず」「じゃあ、どうしていたんですか?」。
「携帯用の小田原提灯だよ。見たい?」と言って、持って来てくれたのは直径10センチちょっとくらいの丸い金属製の灰皿のようなもの。紙が貼られていた蛇腹(火袋)の部分はなくなっていましたが、重化(じゅうけ)と呼ばれる上下の輪っかを離すと、ろうそく立てには融けた蝋が残っています。
「この持ち手(弓)のところに、2本の予備のろうそくが入るからね。これで、足元を照らして、山道を歩いたんだ。明るくて、なかなか便利だったなあ」と熊谷さん。「帰り道には、もちろん、道草。食べられる草や木の実は、山にはたくさんあったからな」。

2枚目の写真は、「嘉永五年(1852)」の古地図「遠江小圖」に記された「門谷」です。トリミングした地図のほぼ中央、「谷角」と右から左へと書かれているのがその位置。地図をクリックして拡大していただければ、いかに辺境の地であったかが、お分かりいただけると思います。