2019年04月18日
天竜川に架かる鋼橋③―「RAILWAY BRIDGE OVER THE TENRYU」

25番 ♪掛川、袋井、中泉
いつしかあとに早なりて
さかまき来る天龍の
川瀬の淵に雪ぞふる♪
26番 ♪この水上にありと聞く
諏訪の湖水の冬げしき
雪と氷の懸橋を
わたるは神か里人か♪

それは「RAILWAY BRIDGE OVER THE TENRYU(4,000 FT LONG,TOKAIDO LINE.」と題された古い絵葉書。写真に写っているのは、平行弦ワーレントラスの橋梁。もう1枚の絵葉書「天龍川 Tenryu River」の写真も同じです。
しかも、写真の線路は単線。となれば、複線化された「天龍川大鐵橋」よりも前の橋梁であるのは間違いありません。
●明治22年(1889)平行弦のダブルワーレントラスで架橋
●大正 2年(1913)複線化に伴い曲弦プラットトラス橋梁を増設し、同時に下り線もプラットトラスに
初代ダブルワーレントラス橋梁は払い下げられ、箱根登山鉄道の早川橋梁として利用され国登録有形文化財
●昭和19年(1944)東南海地震により損傷。
●昭和41年(1966)旧橋梁の上流に新しい線路を造り、上り線に平行弦のワーレントラス橋梁を新設し、下り線には旧上り線に架けられていた曲弦プラットトラスを移設
この経緯を、国土地理院地図の空中写真で確認してみました。
![]() 1961~1969年:旧路線 上下とも曲弦プラットトラス | ![]() 1974~1978年:上下線移設 上り線は平行弦ワーレントラス 旧鉄橋は放置
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![]() | ![]() |
確かに路線は上流側へと移設していることが分かります。現在の上り線橋梁に残る銘板の数字は「1967」。つまり、昭和42年に上り線橋梁が完成し、翌年(1968)に開通、移設された下り線の開通はさらに翌年(1969)。JR東海道線の天竜川橋梁には、こんな歴史があったのです。