2018年05月13日

引佐町渋川を歩く④―凱旋紀念門

凱旋紀念門 渋川の六所神社には、よく知られる赤煉瓦造りの国登録有形文化財「凱旋紀念門」が残っています。現地に立つ解説看板によれば、造立は「明治三九(一九〇六)年三月建立」で「幅三・二メートル、高さ三・六メートル」。

凱旋紀念門 「日露戦争を記念して、六所神社参道の途中に築かれた。石造柱脚の上に、柱頭を鋸歯飾とした煉瓦造の柱が立ちあがり、煉瓦造の欠円アーチを挟み込む。煉瓦の積み方はフランス積みとする。大型の石製扁額を挟み、上部に江戸仕切石材の重厚な笠石を載せる。県内における初期煉瓦造の建造物。 浜松市教育委員会」。

凱旋紀念門 戦争の勝利を祝し、軍隊を迎えるために造られる凱旋門は、古代ローマが起源。日本では、小学校の運動会の時に建てられた杉の枝などで造られた入場ゲート程度だった「緑門(りょくもん)」が大型化したもの。

「祝凱旋」の写真 以前、二俣で展示されていた「祝凱旋」の写真を見たことがありましたが、それはすぐに取り壊すことができる簡易な門。渋川の「凱旋紀念門」は、六所神社境内に集まった近在住民の歓呼の声と日の丸の小旗に送られて出征した兵士と日本の勝利を祝福して、ここに建てられたもの。洋風建築のブームに乗り、全国各地で建立されたのですが、現存するものは少ないようです。

 江戸時代までの日本人にとっては、郷土意識は強くあっても国家意識は希薄だったはず。富国強兵の風潮の中で、「愛国心」を教育する意味合いも大きかったのではないでしょうか?



同じカテゴリー(ウォーキング・ぶらり旅・町歩き)の記事

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
引佐町渋川を歩く④―凱旋紀念門
    コメント(0)