2017年05月13日
新緑の青谷を歩く④―義民「佐倉宗五」
義民 封建制度の下で 人民の為に命をかけて戦い その生涯を 悲しみと苦しみで終わった 直訴
「佐倉宗五」とは、現在の千葉県(かつての下総国佐倉藩)の名主。悪税に苦しむ農民を救うため、将軍家綱に直訴し、刑場の露と消えた「佐倉惣五郎」のことです。
かつての青谷村でも、天明の大飢饉(1787)には、後に「二俣騒動」と呼ばれる「打ちこわし」が起こりました。その時の首謀者として江戸送りになった1人が「青谷村の八右衛門」。
この看板が、どうしてここに建てられたのかの経緯については分かりませんが、都市部で起きた民衆運動の芽生えが、飢饉と政情に不安を抱える中、この北遠の地にまで広がって来た歴史と無縁ではなさそうです。