出かけよう!引佐町伊平⑮―炭焼き窯跡
「水田跡」の先にあったのは「炭焼窯跡」の石積みです。
昭和40年代まで使われていた窯跡です。仏坂周辺には十数箇所の窯跡が確認されています。少し前まで、いかに自然豊かな山であったかを物語っていると思います。貴重な生活遺跡です。大切にしましょう。NPO法人いーら・いだいら
確かに、私が子どもだった頃の燃料と言えば、薪や枯れ葉。根本山の一部を我が家の薪山として持っていましたので、秋には4キロほど先にある根本山までリヤカーを曳いて行き、薪を伐り出して積んで帰りました。焚き付けは竹や松の枯れ葉。火種の炭は主に消し炭。
リヤカーの車輪に足を挟まれ傷ついた痕が残っていたはずですが、あれから60年以上が過ぎ、今は見られません。根本山ではヌノビキタケも採ったのですが、もう、どんな味だったのかも思い出せません。
関連記事