2019年04月05日

龍山「瀬尻橋」の変遷①―吊り橋の主塔遺構

『龍山郷土文化保存伝習施設』に展示されていた吊り橋の写真 かつて開館していた『龍山郷土文化保存伝習施設』に、天竜川に架かる長い吊り橋の写真が掲示されていました。考えるまでもなく、対岸に立つ主塔の特徴的なデザインから、旧「瀬尻橋」(下平山橋)の写真だと分かります。

 現在も「森林文化会館」から対岸に主塔遺構を見ることができます。 旧「瀬尻橋」が水面に沈んだのは、昭和29年(1954)に着工、同33年(1958)に完成した「秋葉ダム」工事がきっかけ。ダムによって堰き止められた天竜川の水位の上昇により、旧「瀬尻橋」が集落とともに水没し、赤い下路式ランガートラス橋の新「瀬尻橋」に架け替えられました。

 ダム湖に沈んだ集落と聞けば、「佐久間ダム」に沈んだ旧富山村や佐久間町の山室のことを思い出す人が多いかも知れません。でも、「秋葉ダム湖」に沈んだ家もあったんです。

吊り橋の主塔遺構 「あれって、古い橋の跡ですよね」「そうだよ。私が生まれたうちは、この水の下の沈んでいるんだよ」「ええ?秋葉ダムでも?」「そうさ。秋葉ダムでも家が沈んだんだ。あの橋があんなに沈んでいるんだから、分かるだろう?」。

 橋脚だと勘違いしそうな遺構は、吊り橋の主塔。昔の道路も集落もダム湖の下に沈んだのです。水面の上に見えているのは主塔の頂点に近い部分。橋はその下に架かり、さらに低いところに家は建っていたというのです。

 ダム湖の上に住居を移したと言う人は、「私のうちがあったのは、ちょうどこの下辺りだったんだよ」と水面を指差して大きなため息をつきました。



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