「猛暑日」の国境(くにざかい)を歩く②―池島集落
以前の国道152号は、水窪の池島(いけじま)集落から右折。足神神社を経て、青崩峠の手前でSTOP。いわゆる分断国道として有名だった道を通り、青崩峠へと向かいましたが、その前に池島に残るかつての「塩の道」を紹介しましょう。
かつての「塩の道」と書いてしまいましたが、もちろん信州と遠州とを結ぶ秋葉街道でもありました。
その名残りとも言える石碑が池島集落には残されています。それぞれに「金毘羅神社 秋葉山神社」、「秋葉山大権現 金毘羅大権現」と刻まれた2基の石碑が、信州の方向を正面にして建てられています。その脇には常夜燈もあり、信州から秋葉詣でをするため、急な坂道を登って峠を越えて来た旅人たちは、この石碑の文字を読み、常夜燈の仄かな明かりを見て、ほっと一息ついたことでしょう。
「金毘羅神社 秋葉山神社」「秋葉山大権現 金毘羅大権現」と2社2神が並ぶのは、焼き畑農業に欠かせない火の神、水の神を崇敬するため。「秋葉山神社」「秋葉山大権現」と「秋葉神社」「秋葉大権現」でないのは、「秋葉神社」「秋葉寺」がかつては神仏混淆の「秋葉山」と呼ばれていたから。そして、そこに「神社」と付けられているのは、この石碑が明治時代以降に建てられたからだと思います。
明治時代の神仏分離令によって神道と仏教とが分離され今に至っていますが、かつての神仏混淆は日本人ならではの広い心による宗教観。神道と仏教だけにとどまらず、キリスト教もイスラム教もヒンズー教も、絶対に敵対するものではあってはなりません。
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