旧金指街道を歩く㉑―旧引佐農業学校とマンホールの蓋
手元にある古い絵葉書は、磐田市見付の佐口行正さんからいただいたデータ。その中の1枚は「校學林農佐引立縣岡靜」。現在の県立浜松湖北高等学校です。
創立は明治35年(1902)の学校組合立引佐農業学校。その後、引佐郡立引佐農林学校、県立引佐農学校を経て、気賀高等女学校と合併し県立引佐高等学校に。普通部が県立気賀高等学校として独立したことで、県立引佐農業高等学校と改称。県立引佐高等学校を経て、平成27年(2015)に閉校し、県立浜松湖北高等学校が開校したという歴史。
気賀中学校時代の私の同級生の中にも、県立引佐高等学校に進学した人がいましたので、佐久間に分校まである県立浜松湖北高等学校は決して無縁の学校ではありません。
さて、「旧金指街道を歩く」の最終回は、旧引佐町時代のデザインマンホールの話題。「緑と花のまち いなさ」の文字と、シブカワツツジとギフチョウの絵。これで、旧引佐郡3町のデザインマンホールはすべて紹介できたのでしょうか?
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