難攻不落の高天神城跡を歩く⑩―甚五郎抜け道

AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん

2023年01月16日 05:06

 「馬場平」の西にある東屋には「甚五郎抜け道」の開設看板が掲げられています。

天正九年三月落城の時、二十三日早朝、軍監横田甚五郎尹松は本国の武田勝頼に、落城の模様を報告する為、是より西方約一千米の尾根続き険路を辿って脱出し、信州を経て甲州へと抜け去った。
この難所を別名犬戻り猿戻りとも言う。


 武田勝頼と徳川家康とが攻防を繰り返した「高天神城の戦い」は、天正2年(1574)~9年(1581)。「高天神城を制するものは遠州を制す」と言われた要害堅固な高天神城は、徳川家康の手に落ちて廃城となり、現在に至っています。「どうする家康」。

 【関連記事】難攻不落の高天神城跡を歩く①―搦手門跡
 【関連記事】難攻不落の高天神城跡を歩く②―地層
 【関連記事】難攻不落の高天神城跡を歩く③―三日月池
 【関連記事】難攻不落の高天神城跡を歩く④―的場曲輪跡と石窟
 【関連記事】難攻不落の高天神城跡を歩く⑤―本丸跡と元天神社
 【関連記事】難攻不落の高天神城跡を歩く⑥―狛牛
 【関連記事】難攻不落の高天神城跡を歩く⑦―井戸曲輪跡
 【関連記事】難攻不落の高天神城跡を歩く⑧―高天神社
 【関連記事】難攻不落の高天神城跡を歩く⑨―馬場平
 【関連記事】難攻不落の高天神城跡を歩く⑪―三の丸跡
 【関連記事】難攻不落の高天神城跡を歩く⑫―追手門跡
 【関連記事】難攻不落の高天神城跡を歩く⑬―土塁、堀切、切割などの跡
 【関連記事】難攻不落の高天神城跡を歩く⑭―記念碑と慰霊碑

関連記事