難攻不落の高天神城跡を歩く⑩―甚五郎抜け道
「馬場平」の西にある東屋には「甚五郎抜け道」の開設看板が掲げられています。
天正九年三月落城の時、二十三日早朝、軍監横田甚五郎尹松は本国の武田勝頼に、落城の模様を報告する為、是より西方約一千米の尾根続き険路を辿って脱出し、信州を経て甲州へと抜け去った。
この難所を別名犬戻り猿戻りとも言う。
武田勝頼と徳川家康とが攻防を繰り返した「高天神城の戦い」は、天正2年(1574)~9年(1581)。「高天神城を制するものは遠州を制す」と言われた要害堅固な高天神城は、徳川家康の手に落ちて廃城となり、現在に至っています。「どうする家康」。
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