難攻不落の高天神城跡を歩く①―搦手門跡
『どうする家康』―以前から一度訪れてみたいと思っていた高天神城跡を、昨年(2022)10月2日に歩いて来ました。高天神城とは、掛川市上土方・下土方にあり、武田信玄・勝頼と徳川家康とが激しい争奪戦を繰り広げた山城。一体、どんな城跡が残されているのでしょう?
カーナビの導くままにアクセスしたら、到着したのは「北口駐車場」。石の明神鳥居をくぐると、そこには「搦手門」の看板が建てられていました。
そして、看板には・・・
城の裏門に当り、城南から出て来る者を搦め捕る意味からこの名がある。元亀から天正二年にかけて、渡辺金太夫照が大将として城兵二百十余騎を率いて守備した所である。
・・・と書かれ、渡辺金太夫照は「わたなべきんだゆうてらす」と読み、「姉川の戦い」で手柄をたて、功名を挙げた織田・徳川連合軍の武将「姉川七本槍」の一人だったのですが、ここ高天神城では武田勝頼に攻められて敗戦し、以後、武田勝頼の配下となったとのこと。
先ずは、裏門跡から入り、長い石段を歩いて高天神城跡に攻め入ることになりました。
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