掛川の旧東海道を歩く⑭―「善光寺」と「仲道寺」
「垂木川」に架けられた橋は、「善光寺橋」と「善光寺歩道橋」。どうして「善光寺」なのでしょうか?その由来は、橋の西にある寺の名前が「善光寺」だったから。「善光寺」と聞くと、長野県長野市にある「善光寺」を思い出してしまいますが、掛川の「善光寺」との関係は分かりません。
そして、1段上に上がると、そこにはまた別の「仲道寺(ちゅうどうじ)」が。「仲道寺」は曹洞宗で、「善光寺」が無宗派なら、長野の「善光寺」と同じ。寺領確保のため、あえてお堂を「寺」としたのかも?
「善光寺」と「仲道寺」とが隣接して鎮座している理由はともかくとして、「仲道寺」の名前の由来は、「東京京都の中間地点」の看板が。
「東海道五十三次」の真ん中については、西からも東からも27番目の宿で、ちょうど真ん中の宿場は「袋井宿」。江戸からも京都からも60里の距離にあるのは浜松市中央区の「中野町」とする説もあり、さらに名乗りを挙げたのが「仲道寺」というわけです。
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