阿多古川沿いに残る道標⑩―「市塲靑年修養會」
時計塔の分岐を右に取り、県道9号を少し南下すると、熊と上神沢(かみかんざわ)との地境付近に新たな分岐が現れます。道標(みちしるべ)に彫られている文字を、首をひねりながら読んでみました。
「右 二俣 阿多古渋川 半僧坊旧道」「左 二俣阿多古」。この読みが正しいのなら、どちらの道を選択しても阿多古を通り、二俣には行けます。ただし、奥山半僧坊に行こうとするなら、「右側の旧道を通ることをお勧め」の案内。
道標の裏側には「大正八年五月」とあり、市場橋の袂と時計台の前の道標と同じ西暦1919年の建立。3基とも「市塲靑年修養會」と刻まれ、これも同じです。
以前、「
熊(くんま)の町歩き⑦」で紹介したように、熊には明治23年(1890)に熊報徳社が結成され、今でも共助組織として存続しているとのこと。「市塲靑年修養會」とは、そんな報徳社の青年組織です。
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