細江町の万葉歌碑を訪ねる③―「引佐細江のみをつくし」とプリンス岬
西気賀小学校に建てられていた「引佐細江のみをつくし」の横には、次のような解説も建てられていました。
みをつくし(澪標)
舟が安全に通航できるように水脈(みを)の中の浅瀬を知らせる航路標識である。
約1200年前から、この地より南東の都田川河口に立てられていたと言われ、古くは万葉集にも歌われている。大正時代まで立ち、地域の人たちにもこの「みをつくし」の形は親しまれている。昭和30年に細江町の発足時に町の町章となった。
昔をしのぶとともに、ふるさと西気賀が「みをつくし」となって子どもたちに明るい未来を導くことを願い、みをつくしをこの地に立てる。
平成25年2月
・・・とあり、これが、西気賀小学校に建てられた澪標の由来。
ネットフェンスの向こうが引佐細江の湖面で、その先に見えるのが五味半島。現在の上皇が皇太子だった頃、ご一家で訪れて静養された別荘のある半島であるところから、プリンス岬とも呼ばれています。
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