2020年初夏、新宮池から春埜山へ⑱―「駿河参拜講」
「春埜山大光寺」の山号寺号が見られるのは、入口に建てられた大きな石柱だけ。私が見た限りでは、後はすべて「春埜山」。この点も、「春埜山」が修験道に基づいた山岳霊場との認識が強く出ているからと思われます。
そして、この「養老貳年開創霊場 春埜山大光寺」の石柱を寄贈したのは「春埜山駿河参拜講」の人たち。寄贈されたのは「昭和五拾八年」ですが、ここでも「駿河」の国名が出て来てしまいました。
この他、立ち並ぶ「春埜山太白坊大権現御守護」の幟の奉納者の地域にも、静岡市、焼津市などが多いようです。
「2012年3月25日、粉雪舞う春埜山を歩く③」の中で、春埜山に向かう途中、「駿河湾、伊豆半島が見える」と報告させていただきましたが、「駿河湾、伊豆半島が見える」と言うことは、駿河湾や伊豆半島からも春埜山が見えるということ。
春埜山は遠江の山と思い込んでいるのは、私たちの勝手な思い込み。確かに地理的には遠江(遠州)かも知れませんが、心の中ではずっと駿河に近いのかも知れません。
関連記事