大井川の蓬莱橋を渡る⑩―中條金之助景昭之像
牧之原の茶園を見張らせる高台には、中條金之助景昭(ちゅうじょうきんのすけかげあき)之像が建てられています。
中條金之助景昭は、慶応3年(1867)、15代将軍慶喜が大政奉還し駿府に移封された時、慶喜の護衛のために付き従った幕臣を取りまとめていたのが中條金之助景昭です。現地の「記念碑」によれば・・・
日本一と言われる牧之原大茶園の基礎を築いた幕臣一行は、明治二年、中條景昭を隊長に大草高重を副隊長として幕府領である牧之原に入植、一四〇〇余町歩を約三〇〇戸に配分し、各地域毎に分れ集団となって開拓に従事した。
当時の入植者の詳細は不明であるが、当初三〇〇名を超えていた士族も明治一二年には二一五名に減り、同一六年には一二〇名を数えるに至った。なお関口家に残されている人名簿には、入植地も明らかにされている。
これが、牧之原の台地に茶園が広がった経緯。中條金之助景昭は、牧之原大茶園にとって、最大の功労者だったのです。
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