磐田に残る家康の足跡⑭―天龍川御難戦之圖
「三河後風土記之内 天龍川御難戦之圖」は、明治7年(1874)に歌川芳虎が描いた大判錦絵三枚続の浮世絵。写真は磐田市見付の佐口行正さん所有のものを複写させていただきました。
向かって右側、長刀を手に黒い馬に跨っているのが徳川家康。左側で槍を手に栗毛の馬に跨っているのが本多忠勝です。あちらこちらから硝煙が上がり、武田の家紋「四つ割菱(武田菱)」の旗指物は、天竜川の対岸、磐田側だけでなく、浜松側にも描かれています。
一言坂の戦いで武田の軍勢に追われた家康が、命からがら天竜川を渡り、浜松城へと逃げ帰った逸話を描いた絵。
忠勝が手にしている槍が「蜻蛉切」と呼ばれた名槍。飛んで来た蜻蛉が立てた槍に当たって真っ二つに切れたのが、「蜻蛉切」の名の由来。甲冑の背中の旗差物に染め抜かれた家紋は「丸に右離れ立ち葵」です。
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