浜北区上島・新田組の「龍燈」③―俵藤太の百足退治
「新田組の龍燈鞘堂」が浜松市指定の有形文化財とされているのには、力強い建築だけにとどまらず、欄間を飾る彫刻の美術的な評価にも拠るところがあります。そして、その作者は、龍燈を建築した渥美長吉ではなく、その弟子であった伊藤宇作とされ、南に面した欄間には「俵藤太の百足(むかで)退治」の彫刻が嵌め込まれています。
「俵藤太の百足退治」とは次のような言い伝えです。
瀬田の唐橋に大蛇が横たわっており、人々は恐れて橋を渡ることができませんでした。しかし俵藤太は大蛇を踏みつけて橋を渡りました。
その夜、美しい娘のもとへ訪ねてきました。娘は琵琶湖の龍神で、藤太が踏みつけた大蛇はこの娘が姿を変えていたのでした。娘は藤太に「三上 山の百足(ムカデ)に苦しめられているので助けてください」と言いました。
そこで藤太が三上山に行くと、山を七巻き半する大ムカデが現れました。藤太は八幡神に祈って矢を射、それが大ムカデに命中しました。
藤太はムカデ退治のお礼にと、龍神の娘から米の尽きない俵をもらいました。
俵藤太の本名は藤原秀郷。俵藤太とは、彼が龍神から米の尽きない俵をもらったところから付けられた愛称です。
金網に覆われた彫刻の詳細は見えにくいのですが、丸く反った太鼓橋が瀬田の唐橋。そして、向かって右が馬に乗った俵藤太、左が大百足と女性の姿をした琵琶湖の龍神です。
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