古い絵葉書「北部遠州出土 石器時代遺蹟遺物繪葉書」②―昭和八年五月十三日出土
先住民族居住跡敷石帯の一部、天龍川沿岸北遠半場遺蹟より出土せる敷石帯の一部にして長さ七◦八米 幅二米あり殘部は鐵道プラットホーム豫定地中に殘存せらるるものと推定せらる
概況
石質 花崗岩
石形 大石 二個
長さ八十五糎
幅 四十五糎
大部分は徑二十五糎乃至三十糎の圓形石である
昭和八年五月十三日出土(愛郷二葉會發行)
半場遺跡が発見されたのは、絵葉書の解説にあるように、昭和8年(1933)、現在のJR飯田線の前身となる三信鉄道「中部天竜」駅の工事中のこと。丸い石を敷き詰めた遺構が見つかったのをきっかけに、石器や土器が次々と発見されました。
この配石遺構については、住宅の敷石跡とも考えられていましたが、柱の礎石に当たると思われる石が見当たらないことから、山や岩を御神体とした原始的な神社遺構の可能性が高いと考えられるに到っています。
石器時代出土遺物、遠州も將につきんとし三信の山河眼前にせまる天龍沿岸半場遺跡より初めて出土せる遺物なり、我國最古の土器類より古墳時代の土器類にして當時の代表的貴重品たり、一見當時の技巧のあとも知らるべし
向つて右より縄文土器、無文、一、二、他は古墳時代のもの(愛郷二葉會發行)
出土した石器類が新石器時代のものだったとしても、縄文時代、弥生時代、古墳時代の土器も出土しているとなれば、かなり長い間、天竜川の流路に近い場所に、人々の暮らしの場があったことになります。
関連記事