大井川川越遺跡を歩く⑬―仲間の井戸
大井川川越遺跡の中ほどにある建物は「仲間の宿」とされていました。「仲間」とは川越人足の長老たちのもとを指すらしく、「仲間の宿」とは彼らが集まった場所。仕事上の意見交換や親交の場に使われたということでしたので、地域公民館のようなものだったのでしょうか?
少し先、六番宿から入った奥には「橋下仲間の井戸」と書かれた札が掲げられた井戸が。解説によれば・・・
この井戸は「つるべ井戸」といわれるものです。いつごろ掘られたかはっかりしませんが、明治30年ごろ改修され現在のような形となりました。井桁にはそのころの利用者仲間の人たちの名前が刻まれています。
なお、この井戸は昭和29年に水道が敷かれるまで使われていました。
・・・とのこと。
大井川がすぐ近くを流れる立地ですから、水には困らなかったと思われがちな島田に、仲間だけが利用できる井戸が設けられていたことに疑念が湧くかも知れませんが、時として水害を招く川の水と飲料水とは別。 リニア中央新幹線南アルプストンネル工事における大井川の水資源減少が問題として取り上げられていることを考えれば、長年にわたり「仲間の井戸」が保存されて来た理由も分かるような気がします。
明治時代に建築された旧桜井邸を復元保存している島田市博物館分館でも、屋敷の外側に当時の井戸が残されていました。
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