磐田に残る家康の足跡⑤―宣光寺の梵鐘
天下統一を目指す徳川家康と武田勢との合戦が、磐田で繰り広げられた歴史を物語るものとして知られるのが宣光寺の梵鐘です。
この梵鐘は、天正15年(1587)の戦いで命を落とした多くの武将の供養ため、家康が寄進した梵鐘であり、家康の名が刻字されていたため、戦時供出を免れ、現存している貴重な鐘。「大日本国東海道遠江刕豊田郡見付府奉鑄鐘大地蔵公用」と刻まれ、「大地蔵」は宣光寺の延命地蔵を指し、「公用」とは、この梵鐘が個人的ではなく公式な寄進であることを示していると思います。
梵鐘の銘文は「旹天正拾五亥年霜天廿四日 大担越源家康敬白」。当時の家康は、永禄9年(1566)に勅許を得てすでに「徳川」を名乗っていたはずですが、「源家康」とは征夷大将軍の官位を望み、公式には清和源氏の出を自称していた証です。
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