諏訪大社を訪ねて⑫―富國館製絲場奉納の玉垣
諏訪市中洲宮山の諏訪大社上社本宮(ほんみや)塀重門(へいじゆうもん)へと続くの石段の玉垣に刻まれた「富國館製絲場」の文字に目が留まりました。それは一瞬、世界文化遺産に登録されてた「富岡製糸場」と読めたから。
よく読むと「武州深谷町 富國館製絲場」とあり、群馬県富岡市にある「富岡製糸場」ではなくて、埼玉県深谷市にあった「富國館製絲場」。「富國館製絲場」とは、養蚕・製糸が盛んだった長野出身の両角市次郎(慶応元年~大正10年)が、深谷に創立した製糸工場でした。
養蚕が盛んになった経緯には、明治政府による殖産興業奨励の意図のほか、農民が現金収入を得て自立するという大きな目的もありました。明治の末には、長野県の繭生産は群馬県や福島県を抜いて日本一に。玉垣の親柱に刻まれた「明治四十三年三月建之」の時期とぴったり合います。
両角市次郎は、「優良なる生糸の生産は優良なる工女と器械による」という考えから、余興場、女工浴室、面会室など福利厚生施設を整備し、労働環境の向上を図った経営者。深谷の他、諏訪、福島、静岡にも工場があったということですから、本県とも浅からぬ関係があります。
石柱には、「試驗課一同」「鍛工部一同」「倉庫部一同」「衛生部一同」「教育部一同」と続き、日本式資本主義の香りが。諏訪大社の御神籤には、今でも「養蚕」の項目が残っているそうです。
そう言えば、上社前宮(まえみや)の透かし塀の軒下で見た繭は、スカシダワラと呼ばれる野生の蚕クスサンの繭でした。
諏訪の山道には、蚕の餌にされた山桑(ヤマグワ)の美しい葉もありました。山桑の葉は諏訪大社ゆかりのカジノキの葉に大変よく似ていますが、養蚕が盛んだった時代の名残りでしょうか?
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