犬の伝説いろいろ④―ふるさとものがたり天竜「悉平太郎の物語」より(下)

AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん

2017年12月16日 05:17

 そしていよいよ八月十一日、見付天神社の祭りの日がやってきた。
 重くしずみきった見付の町に、夕やみがせまり、やがて夜がきた。
 うめは、真白な着物を着せられて、今しも大きな白木の箱に、入れられようとしていた。あと数時間のちには、まちがいなく悪魔のえじきとなってしまうであろう娘に、父母はとりすがって泣きくずれた。と、あわただしい足音が聞こえ、
 「ああ、間にあったか。おうめさん、喜んで下され。」
 飛び込んで来たのは、泥と汗にまみれた、弁存と悉平太郎であった。ことのいきさつを話す弁存に、みんなは手をとり合って喜んだ。弁存は悉平太郎を白木の箱に入れて、
 「あやしいやつが出たら、きっとかみ殺してくれよ。」
 と、何度も何度もたのむのだった。

 やがて白木の箱は、裸に腰みの姿の若者たちにかつがれて、天神社に向かった。
 「わっしょい、わっしょい。」
 「わっしょい、わっしょい。」
 かけ声と共に、白木の箱を境内に運び終えた若者たちは、
 「わぁーっ。」
 と、ときの声をあげて、あとをも見ずに、走り帰ってしまった。

 その時、さっと本殿の床下にもぐりこんだ人影があった。弁存である。
 弁存は床下に正座すると、手を合わせ、無言の経を唱え始めた。
 やがて夜がふけて・・・・・・。
 静かだった境内の木々が、ざわざわと音をたててゆれ始め、どこからともなく不気味な声がひびいてきた。

 「娘はいるか。人くさいか。」
 「おう。」
 と、何者かが答える。
 「悉平太郎はおらぬな。」
 「おう。」
 「きっといないな。きてないな。」
 「おう。」
 さっと一ふき、はげしい風と共に、悪魔がおり立った。
 「悉平太郎はきてないな。」
 と、なおも呼ばわりながら、悪魔は白木の箱のふたを取った。

 すると中から、真白な着物をかぶった悉平太郎が、さっとおどり出た。ふいをつかれたじろぐ悪魔に、悉平太郎はところかまわずかみつき、つめを立てた。長い戦いが続いた。はげしいひびきと、けだもののうなり声は、延々と夜が白むまで、見付の人々をおびやかした。

 やがて、うそのような静けさが訪れた。
 一心にお経を読み続けていた弁存は、そっと外に出た。

 戦い終った境内に、小山ほどもある大ヒヒが、血にまみれてころがっていた。そのそばには、傷ついた悉平太郎が、体を横たえている。弁存はかけ寄って、悉平太郎をだいた。
 天神さまのしわざと見せかけ、悪事を働いた老ヒヒは、こうして悉平太郎により、退治されたのである。

 以後、見付の町は平和を取り戻し、その名残りとしての裸まつりが、現在なお盛大に行なわれている。 (「ふるさとものがたり天竜・第2章上阿多古地区」より一部引用)

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 「強い犬が生贄を要求する老猿を退治する」という話は『今昔物語』の中にもみられ、日本各地に同じような伝説が語り継がれているそうです。北遠は、相良の海岸から長野県塩尻まで通じる「塩の道」の中継地。決して、地果てる地域ではなく、物流と文化とが交差点であったのは間違いありません。

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