犬の伝説いろいろ②―水窪の民話

AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん

2017年12月14日 06:00

 その昔、花園天皇の治世だったというから今から700年程前の話である。信濃駒ケ岳のふもとにある光善寺で、どこからともなくやってきた一匹の雌の山犬が五匹の子犬を産んだ。寺の和尚も、この山犬の親子の暮らしぶりを見守っていたのだが、子供たちが母犬と区別できないほどに育った頃、母親と四匹の子供は山へと帰っていった。しかしどうしたことなのか、五匹の中でもひときわたくましく利発だった子犬だけが寺に残っていた。何かと親子に目をかけていた和尚は、少し不思議に思ったものの、この一匹が寺に残ったことをたいそう喜び、これを「しっぺい太郎」と名づけて慈しみ育てた。

 同じ頃、遠州の見附宿あたりのこと。村人に人身御供を要求し、これに従わなければ近隣の田畑を荒らして凶作をもたらす神がいた。秋祭りの頃になると、毎年のように村の家の戸口に白羽の矢を立てるのである。矢を立てられた家は娘をこの悪神に差し出さなければならなかった。村人たちは、背に腹はかえられぬと仕方なくこの悪神の要求に従ってはいたが、やはり娘を贄に差し出さなければならなくなった家の者の悲しみは言い様も無いほどだった。

 ある年のこと、この悲劇を見かねた見附天神社の社僧・一実坊弁存は、何か手立ては無いものかと物陰から人身御供の様子を伺っていた。果たして、正体不明の怪物が、白木の箱に入れられた娘を求めて弁存の前に姿を現した。いや、見えたのは怪しげな影だけだったと言った方が正確かも知れない。しかし、その怪物は奇妙な歌を歌っていた。

 「今宵今晩この事は 信州信濃の光前寺 しっぺい太郎に知らせるな」

 その直後、人身御供の娘の悲痛な叫び。弁存は、怪物の恐れる信濃光前寺のしっぺい太郎を探すため旅に出た。

 旅を続けた弁存は、ついに光善寺のしっぺい太郎の噂を耳にする。が、彼が探し続けた勇士・しっぺい太郎は、あろうことか犬なのだという。これには弁存も落胆したが、太郎を知る人はみな口々に太郎を誉めた。弁存もついに、「せっかく長い道のりをやってきたのだから」と太郎の顔だけでも見ていこうという気分になった。そして、太郎と対面を果たした弁存は、その聡明さと精悍さに感じ入り「これならばあるいは・・・」と認識を改め、光前寺の和尚にいきさつを話した。和尚も弁存の話に不思議な縁を感じ、怪物退治のために太郎を貸し出してくれた。

 そして、その年の秋祭り。弁存は太郎を白木の箱に入れ、少し離れた場所から様子をうかがっていた。同じく箱を運んできた村人たちも、弁存と同じく何が起こるのか、固唾を飲んで見守っていた。やがて、去年の同じ日に弁存が聞いたあの歌が聞こえてきた。怪物は、ひとしきり箱の周りをうろうろしていたが、やがて箱のふたを取ったようだった。その瞬間、箱の中に潜んでいた太郎は猛然と怪物に体当たりした。がたがたと激しい物音に混じって、二つの声が聞こえてきた。一つは太郎の咆哮だった。もう一つは怪物の叫び声だろう。暗くてはっきりとしたことは何もわからない。弁存と村人たちは、血も凍る思いで暗夜の格闘の成り行きを見守っていたが、やがて二匹の死闘は終わったようだった。しかし、その場に居合わせた者は恐怖のために戦いの結末を見届けに行く事が出来なかった。そして夜が明ける頃、意を決した弁存が昨夜の戦いが行われていたあたりまで行ってみると、血の海に倒れこんだ怪物の躯を見つけた。怪物は、年経た猿の化生だった。しかし、そこに太郎の姿は無かった。

 同じ朝、昨夜が見附の秋祭りの期日であることを知っていた光前寺の和尚は、矢も楯もたまらず寺の山門の前に立っていた。すると、東雲の道を何かが近づいてくるのが見えた。はじめは小さな黒い点だったそれは、寺に近づくにつれて犬の形になっていった。太郎だった。その足取りはよろよろとしておぼつかないようだった。ようやく和尚に抱きすくめられても、太郎には以前と同じく和尚にじゃれ付くだけの力は残されていなかった。全身に深手を負いながら、それでも恩のある和尚のところまで帰って来たのだった。太郎は、和尚に抱かれながら息絶えた。和尚と村人は、光前寺の境内に太郎を手厚く葬った。(「水窪の民話」より)

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 「しっぺい太郎」の伝説は、各地で幾通りにも語り継がれています。ここ水窪では、傷ついた霊犬「しっぺい太郎」は水窪で息絶えたとされています。そして、その墓が、奥領家の「足神神社」近くに。「瑟平太郎の墓」「太郎犬の碑」の2本の標識と、「勇犬早太郎の物語」の解説版が立っていました。

 祠の中を覗くと、三角形の石に尻尾を丸めた犬の姿が浮き彫りにされています。霊犬の真偽のほどはともかく、遠州・磐田の見付と信濃の国・駒ヶ根との間には、同じ民話を語り継ぐだけの深いつながりがあり、水窪がその中継地であったことは疑うべくもありません。

 それにしても、怪物と戦った霊犬というには、あまりにも可愛らしい犬の姿です。

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