1歩進んだ青谷の「春」③―水田跡
青谷の里山には、かつては水田が広がっていたのですが、今では耕作放棄地となり、見晴らす限り枯れ葉色の世界。現在は、わずかに残る階段状の水田跡が、稲作が行われていた当時の面影を残しているだけです。
元々、石灰岩土壌で稲作には適さなかった青谷に、江戸時代に現在の磐田市野部付近の土を運んで、ようやく稲作ができるようになり、少し前までは行われていた稲作が続けられなくなった要因は、若者たちの離村と住民の高齢化。
日本中の農村部で懸念されている問題ですが、このままでは・・・
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