長野県の天竜川舟着場を訪ねる②―「入舟」の地名
「龍」のオブジェが建てられていた場所は、長野県伊那市坂下区入舟。「入舟」の地名の由来は、ここに、天竜川の舟着場があったから。「大橋」の上流側には「史蹟天竜川舟着場」と刻まれた石柱が建てられていました。
そして、「天竜川通船の由来」と題した解説看板には・・・
(前略)江戸初期、角倉了以により川筋の見立てが行われたが、天竜川上流では、通船が就航したのは文政の頃で、同六年、神子柴の孫市、木の下の弥四郎等が通船を公認されたが、木曽十一ヶ宿、中馬業者等からの故障のため就航は難航した。
明治四年伊奈県の調べでは伊那谷に、五十艘の船があった。同五年、平野村の尾沢辰之助等により岡谷―掛塚間の通船が行われた。(後略)
天竜川の水源地、諏訪から河口の掛塚までは約50数里(約210km)。下りは川任せですが、帰りは帆を張り、風の力を借りるしか手はありません。
やがて、中央線や伊那電気鉄道(現:飯田線)が敷設され、天竜川の通船は役割を終えることになったのですが、一体、掛塚湊までどれほどの数の舟がやって来たのでしょう?
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