浜北区上島・新田組の「龍燈」④―「大村藤吉刀」
残念ながら、鳥避けの金網が邪魔をして「俵藤太の百足退治」の彫刻はよく見えません。しかし、顔を近づけて網目の間を覗いてみると、弧を描く橋の下部に文字が刻まれているのが見えました。
さらによく見ると、文字は「大村藤吉刀」。これが、「俵藤太の百足退治」の欄間彫刻を担当した宮彫師の名前です。
欄間が完成したのは明治44年(1911)とされ、龍燈が建立されたとされる同28年(1895)から16年後。遅れたのは経済的な理由とされ、これほどの「龍燈」を建立するとなると、浜北区上島の小さな集落だけに負担はかなりなもの。
それでも作り上げた地域の力と結束を、「龍燈」を見上げることにより感じることができました。
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