「法橋の松」を訪ねる③―妙恩寺
「法橋(ほうきょう)の松」の「法橋」とは、妙恩寺の開祖・金原法橋の名。妙恩寺と「法橋の松」までは約300メートルほど離れていますが、かつての金原法橋邸はこの辺りにあったということ。そして、金原法橋の子孫に当たるのが、金原明善で知られた金原家です。
そもそも「金原」とは、金原法橋の出身地である千葉県松戸市小金原の地名から。ただし、小金原は「こがねはら」と読み、「きんぱら」ではありません。
そして、左の写真は古い絵葉書「遠州橋羽(天龍川驛前)妙恩寺本堂」。「橋羽」は「橋輪」「端和」と書かれたこともあり、地名の由来は天竜川の「橋場」。私はついつい「はしば」と読んでしまいますが、正しくは「はしわ」。現在は浜松市東区天龍川町に含まれています。
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