磐田市駒場の駒場神社②―地名の由来
「延喜式」に「白羽官牧場」と見え、「風土記伝」には遠江国の牧場は榛原郡から浜松の間とあり、地名は古代の馬牧に由来するという(ふるさと竜洋)
これが、駒場の地名の由来。馬牧(うままき:官営の馬牧場)があったということは、逆に言えば稲作に適さない砂地の土地だったからと考えることができます。
そして、域内を流れていた天竜川東派川は天然の掛塚湊(みなと)として利用されていましたので、昭和19年(1944)に東派川が締め切られた今となっては、よそ者として移住して来た私には、どこからが駒場で、どこまでが掛塚なのか分からず、駒場は掛塚とは一体。
しかし、古い航空写真で見ると、東派川の川幅は想像よりもはるかに広く、陸続きとなった最近の航空写真でも東派川の大きく曲がった流れは、住宅地の形として確認することができます。
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