楽しく歩いて、掛塚を知ろう⑧―旧津倉家住宅
竜洋西小学校6年生は1組から3組までの3クラス。私が一緒に歩いたのは3組の25人。いよいよ、旧津倉家を案内します。
津倉家の案内は磐田市歴史文書館の笹竹さんから私に引き継がれましたので、写真が撮れていませんが、明治22年(1889)築、すべて畳の間の主屋を案内。腕の良い掛塚の大工や建具屋の仕事を感じていただきました。
建築された明治22年は、くしくも国鉄東海道線が開通した年。掛塚湊から船で運ばれていた北遠の木材は、東海道線の貨車で運ばれるようになり、廻船問屋としての商売は終焉を迎えます。しかし、その後も津倉家は掛塚の経済を支えて来た家であったのはもちろんのこと。
洋間が増築されたのは昭和10年(1935)。当時の最先端の西洋風の応接間を設計したのは、現在の竹下一級建築士事務所創業者である竹下利夫と浜松工業学校(現・浜松工業高等学校)の教諭であった山内泉でしたが、造ったのは掛塚の大工だったのです。
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