東海道・由比宿を歩く⑦―鞍佐里神社
由比の東倉沢、西倉沢地区には、地名の由来となったと思われる急傾斜を流れ落ちる幾筋もの沢があり、次々と短い橋が現れます。
権現橋を渡ると道の左側に鳥居が現れましたが、宗像神社や八阪神社とは違い横向きです。幟立てに刻まれた神社名は鞍佐里(くらさり)神社。解説看板によれば・・・
日本武尊が東征の途中、賊の焼き打ちの野火に逢い、自ら鞍下に居して神明に念ず、其鞍、敵の火矢によって焼け破れ尽くした。依って鞍去(くらさり)の名あり」と伝えられ、鞍去が後に倉沢と転訛したともいわれている。
鞍佐里神社は尊(たける)が野火にあった薩埵峠(さったとうげ)の雲風(くもかぜ)か山中あたりに建てられていたが、後に現在地に移されたものと思われる。
神社拝殿の蟇股(かえるまた)には尊が野火を払うところが見事に彫刻されている。 平成四年三月 由比町教育委員会
正面右手に富士山を見ながら石段を上った先にあるのが鞍佐里神社。社殿も西を向いて鎮座していましたが、これは元宮があったという薩埵峠の方向を見るように建立されたからでしょうか?
薩埵峠の展望台駐車場に建てられている石碑には「薩埵峠山之神遺跡」と刻まれていましたが、これが鞍佐里神社の元宮。山之神が鞍佐里に名を変えたのは、恐ろしいクラ(=崩落・地滑り)が去ることを願ったため、と考えるのは強引過ぎるでしょうか?
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