諏訪原城跡を訪ねる③―茶園の向こうに見える「茶」の字
諏訪原城が築かれたのは島田市金谷の牧之原台地。牧之原と言えば茶園を連想しますが、諏訪原城跡への虎口付近にも茶園が広がっています。そして、その向こうに見える「茶」の字の見える山は、言わずと知れた粟ヶ岳。当たり前のように見ている茶園風景ですが、元をただせば「牧野原⇒牧ノ原」。そもそも、「牧野原」とは馬の放牧場を意味する地名(諸説あり)であり、未開拓の原野が広がる入会の草刈り場だったそうです。
その牧之原で茶の栽培は、明治2年(1869)から始まった茶園開拓以降のこと。江戸を追われた徳川藩士や職を失った大井川の川越人足などが牧之原台地に入植し、開墾にあたりました。
諏訪原城跡が残るのは、そんな牧之原の一画。天正3年(1575)徳川家康によって攻め落とされた後は「牧野城(牧野原城)」と改名(諸説あり)され、天正18年(1590)頃にはすでに廃城。運よく手付かずのまま放置され、登城口付近の茶園風景は、江戸から明治へと変わった時代が変わった歴史を語っているのです。
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