大井川川越遺跡を歩く①―「越すに越されぬ大井川」
旧東海道の宿場町を歩く旅―大井川左岸の島田市河原に残る、旧島田宿の川越遺跡を歩いてみました。「大井川蓬莱橋を渡る⑫」で、大井川川越人足たちによって開拓・造成された大茶園について紹介しましたが、それは明治時代に入ってからのこと。江戸時代の川越人夫たちの番宿などの一部が復元され保存されているのが川越遺跡です。
江戸時代の大井川には橋がなく、川越制度が敷かれたのは、大井川の流れが急で危険だったから。また、幕府が江戸の防衛のために架橋を認めなかったとする説がありますが、渡船まで禁止された理由にはなりません。
実は、大井川では早くから川越しの手助けをする人足がいたようです。渡船を許可すれば、1000人を超える人足や元締めたちの生業を奪ってしまうことになります。そのため、川越の既得権を公認したことにより、大井川の両岸は川越人夫たちの番宿、商店で賑わいました。
「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」。東海道一の難所として知られたマイナス面を逆手に取った観光スポット。私が歩いた川越遺跡は、そんな歴史の道です。
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