東海道・小夜の中山峠を歩く㉑―歌碑と富士山
ブログ記事のストーリーでは先に日坂へ向かったように書いてしまいましたが、実際には日坂に向かったのは1月30日で東に歩いたのは前日の29日。下までは歩きませんでしたので、途中で見た3基の歌碑を紹介しましょう。
先ずは「旅寝する さよの中山 さよ中に 鹿ぞ鳴くなる 妻や恋しき」。橘為仲朝臣の歌。そして、「旅ごろも 夕霜さむき ささの葉の さやの中山 あらし吹くなり」は衣笠内大臣・蓮生法師が「続後選和歌集」の中で詠んだ歌。
「雲かかる さやの中山 越えぬとは 都に告げよ 有明の月」は、藤原為家の側室・阿仏尼の歌。京都から鎌倉への道中の出来事を歌を交えて記した紀行「十六夜日記」に収録された歌です。
東海道を往来する旅人たちは、難所とは知りながらも小夜の中山峠を越えなくてはなりません。急坂を登りながら思い出すのは、愛しき人の面影や懐かしい京都での暮らしだったのでしょう。
私は前方に冠雪の富士山を見つけ、一首も一句も詠まずに、ただカメラを構えて♪カシャ!これで、「東海道・小夜の中山峠を歩く」をおしまいとさせていただきます。
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