東海道・鞠子宿を歩く⑤―丸子宿本陣跡・脇本陣跡
江戸から数えて二十番目の宿場町・鞠子宿は、天保14年(1843)の資料によれば、旅籠屋24軒、宿内家数は211軒、人口は795人の東海道のなかでも最も小さな宿場。「丁子屋」を除くと、当時の建物はほとんど見ることはできませんでしたが、わずかに写真の切妻造平入の建物の出桁や千本格子に、宿場町の雰囲気を感じることができました。
ただし、参勤交代の大名、幕府の役人、勅役や公家等の宿泊所となる本陣1軒と脇本陣2軒は設けられ、建物は残されてはいませんでしたが、「史跡 丸子宿本陣跡」の石碑、「丸子宿脇本陣跡」の看板が建てられていました。
「丸子宿脇本陣跡」の看板の横には「明治天皇御小休所阯」の石碑も。明治元年(1868)東京行幸の際に立ち寄られた明治天皇は、本陣ではなく脇本陣で休憩をしたようです。
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