氷見・高岡へ万葉の旅㉔―「海行かば」の碑
勝興寺に「海行かば」の碑があると聞き訪ねたのは、山門の隣りにある鼓堂の脇。石碑に刻まれていたのは万葉仮名。「雲美由可者美川久可波祢 也未遊可波久斜武春閑者祢 大君能辺耳古所志那女駕 弊利見者勢之」とあり、戦後生まれの私でも知っている「海行かば水浸く屍 山行かば草生す屍 大君の辺にこそ死なめ 顧みはせじ」の歌詞です。
歌は知っていましたが、この歌詞が「万葉集」の巻18「賀陸奥国出金詔書歌」からの出典とは知りませんでした。しかも、これは大伴家持が詠んだ長歌の一部だったとは。
「万葉集」を編集した大伴家持が越中国守として高岡の伏木に赴任し、ここ勝興寺境内が国府跡と考えられていることが、ここに「海行かば」の碑が建てられた理由。
裏面(右の写真)には「昭和十二年八月四日皇軍北平入城之日」と刻まれているところを見ると、やはり従軍兵士の士気を鼓舞するために歌われたあの時代に建てられたものに違いありません。
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